ギャンブル依存 回顧回復録

ギャンブル依存の回顧と回復の備忘録ですね

ギャンブルストップ史③

もはや「史」ではなく近況報告です。

 

諸事情により、ここしばらくGAに参加できていません。

ただ、「競馬やりたい」という熱も上がることなく、平穏であります。

子どもたちの遊び場として競馬場に行った際も、

特段気持ちが昂ぶったりすることもありませんでした。

喫煙スペースを求めて一人でフラフラ彷徨ってた時間があったため、

嫁さんは疑惑を持ってるかもしれませんが。

 

数レース遊んで1万→60万になる、という夢を見ました。

潜在的にはまだまだギャンブル欲は残ってるんやなと痛感しました。

これが覚醒しないように、やはりGAなり何なりの手は打たないといけませんな。

ギャンブルストップ史②

Myギャンブル史は11記事まで書いたのに、

ギャンブルストップ史は2記事目で早くも現在地に追いつくという、、、

そりゃまあギャンブルやめて間もないので、

当然ではありますが。

 

この「ギャンブルやめてまだ○○日⤵」という

虚脱感というか不安というか何とも言えない感覚に、

ギャンブルをやめて1ヶ月くらいのときに

襲われました。

GAに基本的に毎週参加していましたが、

諸事情で参加できなかった週があり、

その際にこの感覚に襲われ、

正直なところ、

スリップ(再びギャンブルに手を出してしまうことね)しかけました。

 

それまでは365日中の360日くらいは競馬をやっていたから、

1年でギャンブルやっていなかった日数は5日。

ということは、

自分にとってギャンブルストップした5日は1年に相当、30日ギャンブルをやっていないということは6年分だ!

と、ギャンブル依存時に培った超絶都合の良い計算で自己暗示。

そして何とか持ちこたえて参加したGAで、

そういった感情を吐き出し。

これで乗り切れました。

 

そこからは、大きな波もなくストップし続けられています。

 

ネット投票を解約して、

物理的にギャンブルができない

(やろうと思えば方法はあるけれど、

その手間や発覚したときのことなどを考えると

やろうとは思わない)

状況にあることが、

ストップできている大きな要因だとは思いますが、

やはりGAなり当事者の会なりの

自助グループの存在も大きな助けではありましたね。

ギャンブルストップ史①

というわけで、ギャンブルストップ史がスタートしました。

前記事にも書いたとおり、
まずは物理的にギャンブルをできなくするということで、
ネット投票の会員登録はすべて解約。
クレジットカード類はすべて嫁に渡しました。

依存症対策としては、
いきなり病院はハードルが高かろうという助言もあり、
まずは嫁が「家族の会」に参加するのにあわせて、
「当事者の会」に参加しました。
そこでGA の存在を知って、以後はGAに参加するようになります。

Myギャンブル史11

しばらくの間はホントにこっそり競馬をやってました。
ただ、競馬を「やめる」というよりは「控える」という言い方をしたこともあり、
ちょっとぐらいなら良いやろ的な考えもありました。
少しずつ大っぴらにやるようになり、
当然嫁も気付いてましたが、特に何も言われなかったので、
そのうちに以前と同じように競馬三昧に戻ってました。額は抑えてましたが、、、

そんな感じで1年ほど経ったある夜に、
嫁から「話がある」と切り出されます。
「結局、競馬やめてないよね?」から始まり、
秘密裏にワタシクの身内やらに相談してたこと、
離婚も視野に入れて考えてること、
等々の話。
結論としては、
「あなたはギャンブル依存症でしょう」と。
そして、
「今後、借金をしようとも誰も肩代わりはしない」
「ギャンブル依存の治療(回復)に向けて行動しなさい」
「次はない(=次は離婚)」
ということになりました。

何も反論できる内容はございません。
すべて受け入れる外ございません。
辛うじての猶予をもらった状態なので、
反省やら感謝やらの想いを行動にうつすしかありません。

ということで、
その話の直後に、
ネット投票の会員登録をすべて解約しました。
あ、1件は書類手続が必要だったので後日になりましたが。
ここからギャンブルストップ史に移ることになります。

Myギャンブル史⑩

手持ちのお金が尽きて、また借金をしだしたくらいから、
もう歯止めが効かなくなってた気がします。
そこからはホントにあっという間に借金が膨らみ、
頭の中は競馬と金策についてばかり。
嫁がほとんどノータッチだったのをいいことに、
家計のメイン口座にも手を付けてました。
いよいよもう首が回らんくなる、てタイミングで
嫁にバレます。

きっかけは、
借入先からの残高証明(?)かなんかの書類が届いたこと。
普段、嫁は私宛の郵便物は開封しないのですが、
その時は単に間違って開封してしまったらしく、
中身を見て「!!?!!??」となり、
不審に思って口座やらを確認して唖然とし、
問い質されたという流れです。
今となっては、結果オーライやったと思えますが、
その時は、その書類を送ってきた会社にクレーム入れたろか、と思いましたね。
まあ、自分の各種設定のミスやったんでしょうが、、、

兎にも角にも、
嫁にはほぼほぼ白状し、
競馬をやめることを約束して、
家計の再建方法を指南してもらいました。

ただ、このときにはまだ、
嫁も私も「ギャンブル依存症」ということへの知識が浅く、
家計をどうするかが中心で、
ギャンブルに対する策は打ってません。

その結果、性懲りもなく競馬をこっそり続けてしまうのです。
もちろん以前のような金額を賭けることはできませんでしたが、、、

幸か不幸か、またそのタイミングでまとまったお金が転がりこんで、
借金を返せたことも一つの要因でした。

Myギャンブル史⑨

安定期が続いていれば、こんなことにはなってなかったでしょう、、、
人間というのは、というかワタクシという人間は欲深いもので、
「もっと競馬をやりたい」「もっと当てたい」
「なんなら競馬で暮らしたい」とか
本気で考えてました。

ギャンブルとは別の理由で転職をして、
比較的自由度の高い職場になったことが災いし、
本格的に南関東競馬にも手を出していきます。
南関東競馬用の簡易予想ソフトも完成させました。
園田、笠松、高知、大井、船橋、川崎、浦和はほぼコンスタントに。
佐賀、岩手、JRAをそこそこに。
オッズパークのLOTOをやるが故に、オートレースもちょこちょこ。
そんなギャンブルライフを送ってました。
大体毎日20〜30レースほどをやり、4〜5万を使う日々。
プラスになる日もあるし、デカいのが当たることもあるけど、
平均すれば収支はマイナス。
でも、ヘタにデカいのを当てた実績があるので、
「また、あれくらいのを当てれば逆転できるでしょ!?」てな考え。
まさにどっぷり依存でしたね。

Myギャンブル史⑧

1回目のパンク後も、
ご多分に漏れず競馬は続け、
やはりまた借金を重ねていきます。

しかし、
ちょうど親族から結構な金額の生前贈与をいただいたこと、
競馬の方も少し調子が良くて人生最大倍率を的中させたこと、
などがあり、
借金を完済してクリーンな状態の時期もありました。
思えば、このあたりで金銭感覚が若干麻痺してしまった気もします。
数百万円までは何とかなるやろ的な、、、

一応この時期に結婚をして子どもも授かりました。

安定期というか、
ギャンブル依存が回復していたわけではないですが、
金銭面でのストレスもなく、
比較的平和に過ごせていた時期です。